水はどこから来て、どこへ行ったか
この学院に水道は来ている。ただし、いまの水道とは別のものである。
まず、水を引いていたのは市ではなく民間の会社だった。ロンドンは地区ごとに違う会社が受け持っていて、新リヴァー、東ロンドン、サザク・アンド・ヴォクソール、ランベス、チェルシー、西ミドルセックス、グランド・ジャンクション、ケント——といった名が並ぶ。公の水道局が一本にまとめるのは一九〇四年のことで、この物語よりあとになる。
次に、水はいつでも出るものではなかった。管に水が通るのは一日のうち決まった時間だけで、これを断続給水という。二日に一度、二時間ずつといった地区もあった。日曜は止まるのがふつうだった。
だから家ごとに溜めた。溜める場所は屋根裏である。高い所に置くのは眺めのためではない。高いほど下へ強く落ちるからで、落差がそのまま水の勢いになる。台所の蛇口も、トイレを流す水も、屋根裏の水槽から下りてくる。
法はこの間ずっと追いかけている。一八五二年の水道法は、テムズとリー川から取る会社に、潮の来ない上流へ取水口を移すことと、砂で濾すことを課した。水の質について政府が出した最初の法である。一八七一年の法は、断続をやめて常時出るようにせよと促した。
それでも変わりきらなかった。一八九九年の議会の記録に、ロンドンにはなお約八万戸、人にして五十万を超える人が断続給水のままだとある。そしてこう続く——住んでいる者はそれに気づいてもいないし、不自由も感じていない、水槽があるからだ。溜める仕掛けが行きわたっていたために、水が来ない時間があることが見えなくなっていた。
溜めた水は汚れる。煤、ほこり、虫、鼠。しかも多くの家で、飲む水とトイレを流す水が同じ水槽から出ていた。当時の衛生の論者はこれを繰り返し戒めている。
もう一つ、この家には各階に蛇口があるわけではない。湯も水も、台所と洗い場から人が手で運んだ。これがベッキーの仕事の中身である。石炭を運び、火をおこし、湯を運ぶ。階段を五層ぶん上がる。
トイレのほうを見る。
いまのトイレはタンクが腰の高さにあって、横の取っ手をひねる。当時のものは違う。水槽は天井の近くに据えてあり、そこから垂れた鎖を引くと、二メートル落ちてきた水が便器を洗う。高い所に水槽を置くのは飾りではなく、落差がそのまま流す力だからである。便器の側に水を吸い出す仕掛けが入って、水槽を腰まで下ろせるようになるのは、もっとあとの話になる。なお、天井近くに水槽を置くトイレそのものは新しいものではなく、十八世紀にはもう使われていた。
その水槽は、一度に決まった量だけ出して止まる。栓をひねれば出つづけるのではない。水を出しっぱなしにさせない仕掛けで、英語ではそのものずばり「水を無駄にさせない器」と呼ぶ。水道の会社がこれを求めた。水が無限に来るものではなかったからである。改良を加えた特許が一八八五年に出ている。
汚水管は家の中を通さない。外壁の外を落ちる。そして下では終わらず、屋根より上まで立ち上げて口を開けてある。下水の臭気が家に入らないようにするためで、当時の決まりでもあった。トイレに必ず窓を取るのも同じ理由による。この学院の図で、トイレを三つとも裏の張り出しの同じ位置に重ねてあるのは、こうすると汚水管が外壁に一本で済むからである。
便器そのものの形は、この時期にちょうど変わっている。一八七〇年にS・S・ヘリヤーがオプティマスという弁式のものを出し、一八七七年には『配管工と衛生的な家』という本を書いて、弁の無い、水を溜めた封水だけで臭いを止める形を勧めた。掃除がしやすく、封水が臭気を止めるからである。一八八五年にはハンファーソンズのボーフォート便器が英国衛生協会の表彰を受けている。台のついた陶器の一体もので、いまの便器の先祖にあたる。それより前は木の箱に受けを落とし込んだものが多かった。学院がどちらだったかは決められない。図では陶器の一体ものとして描いた。
最後に紙のこと。
いまの日本で使う、水に溶けるトイレットペーパーは、この時代にはまだ無い。商品としての紙そのものは、ちょうどこのころ出てきたばかりである。英国穿孔紙会社という会社が一八八〇年ごろから売り出した。ただし巻いたものではなく、箱に入った一枚ずつの四角い紙で、紙質はいまよりずっと粗い。そして、この会社のいちばんの得意先は家庭ではなく床屋だった。剃刀についた泡を拭くのに使われていた。
では家ではどうしていたかというと、新聞や古紙を四角く切り、紐を通して便器のそばに吊るしておいた。買う紙ではなく、出た紙を使う。
「水に溶ける紙」という考え方そのものが、この時期に生まれている。水洗の便器が広まったことで、管を詰まらせない紙が初めて求められるようになった。つまり溶ける紙が「まだ無い」のではなく、必要とされ始めたのがちょうどこの時点にあたる。
では使った紙をどうしたのか。流したのか、別に捨てたのか。ここは調べた範囲では決められなかった。英国はもともと流す側の文化で、当時の衛生の本も紙を別に捨てる話はあまりしない。ただ紙は粗く、管は細く、水は一回ぶんしか落ちないので、詰まりは現実の問題だったはずである。そこまでしか言えない。
出所について。会社名と年、水道法の内容、一八九九年の八万戸という数は外部の記述による。一八九九年のものは英国議会の議事録(一八九九年二月二十日、首都水道会社の件)。便器の作り手と年は、ヘリヤー、トワイフォード、ハンファーソンに関する外部の記述に拠る。原文にトイレも水道も一度も出てこないので、ここに書いたことはすべて、原文の外から当てはめたものである。
この文章は、青空の本を原語で読むための読書アプリ「原文庫」の、『小公女』につけた解説から転載したものです。アプリでは本文の該当箇所からこの解説へ飛べます。