ミンチン女史の学校——『小公女』の舞台を図に起こす
『小公女』の舞台になるロンドンの家を、原文の手がかりだけから図に起こした。バーネットは建物の説明をまとめて書かない。場面ごとに手がかりを落としていくだけである。拾って並べると、連棟住宅の型が一つに決まる。
同じ形の家が三軒並ぶ。真ん中がミンチン女史の学校。下から地下・1階・2階・3階・屋根裏の五層。
原文が決めていること
この図の形は、ほとんど原文から出ている。バーネットは建物の説明をまとめて書かないが、場面ごとに手がかりを落としていく。拾って並べると、型が一つに決まる。
| 原文 | 文 | 決まること |
|---|---|---|
| a big, dull, brick house, exactly like all the others in its row | ch01-s0049 | 連棟。同じ家が続く |
| the big, dull square | ch01-s0048 | 広場に面している |
| on the front door there shone a brass plate | ch01-s0049 | 玄関は道から上がった高さ |
| peeped through the area railings | ch05-s0016 | 前面に掘り下げと鉄柵 |
| she went down the area steps | ch13-s0232 | 使用人の出入口は下にある |
| scullery maid | ch05-s0059 | 洗い場がある=台所は地下 |
| come down the back stairs | ch16-s0245 | 階段が二系統ある |
| The slates spread out on either side and slanted down into the rain gutter-pipes | ch09-s0056 | スレート葺きの両流れ |
| a slanting roof and was whitewashed | ch07-s0467 | 屋根裏は片流れの天井、白漆喰 |
| you can scarcely stand up at this end of the room | ch09-s0092 | 屋根裏は片側が立てない高さ |
| the flat window in the roof | ch09-s0054 | 天窓。机に乗れば届く |
| The garret window next to theirs | ch09-s0059 | 隣家の屋根裏窓がすぐ隣 |
| two doors near each other | ch09-s0028 | 屋根裏に部屋が二つ並ぶ |
原文が言わないのは寸法だけである。間口も奥行きも階高も書いていない。そこは当時のロンドンの連棟のよくある値を当てた。部屋の名も、この図のための割り当てである。原文は間取りを述べていない。
階段を真ん中に置いた——窓の無い部屋を作らないため
この図でいちばん効いている判断がこれである。連棟住宅は左右を隣家と共有している。壁一枚で接していて、そこに窓は開けられない。だから窓は道路側と裏側の二面からしか取れない。
階段を家の横に帯で通すと、主屋に三室並べられる。前・中・後ろである。ところが真ん中の部屋は四方を塞がれる。前後は部屋、左右は戸境壁。窓が一つも取れない。
階段を奥行きの真ん中に据えると、これが解ける。道路側の部屋・階段・裏側の部屋で主屋が終わるので、どちらの部屋も外壁に面する。代わりに主屋は二室になる。階段の吹き抜けの真上に明かり取りを据えて、上から光を落とす。窓の取れない真ん中を、階段という「窓が要らない部屋」で埋めた形である。
これは当時の連棟が実際に使っていた型で、思いつきではない。主屋が二室で足りなければ、裏へ張り出しを足す。
各階の平面図。階段が奥行きの真ん中にあるので主屋は二室になり、三室目とトイレは裏の張り出しに入る。
三室目は裏へ張り出して取った
ここは原文に無い当てはめである。本文は家の裏を一度も書かない。それでも置いたのは、無いと三室目に窓が取れないからで、当時の連棟はこの張り出しを型として持っていた。
主屋の奥行き 11.0 m に対して、張り出しは 4.4 m 出る。全長 15.4 m。幅は主屋より狭いので、横に 2.1 m の空きが残る。この空きが裏庭になり、張り出しの部屋に横から光が入る。
張り出しに入るのは、女史の居間(1階)、セーラの寝室(2階)、妹の寝室(3階)。そしてトイレが三階ぶん縦に重なる。水まわりを縦に揃えるのは、汚水管を一本で済ませるためである。
張り出しは主屋より一階低く、屋根裏には届かない。だから屋根裏は主屋の幅だけになり、部屋は三室取れる。
| 部屋 | 床面積 | 畳 |
|---|---|---|
| 道路側(2階・3階=生徒の寝室) | 35.9 m² | 21.7 畳 |
| 道路側(1階=教室) | 30.9 m² | 18.7 畳 |
| 裏側 | 15.8 m² | 9.6 畳 |
| 張り出しの室 | 15.6 m² | 9.4 畳 |
| トイレ | 1.7 m² | 内のり 0.80 × 2.10 m |
| 屋根裏の三室(立てるところ) | 7.1 / 7.5 / 7.1 m² | 4.3 / 4.6 / 4.3 畳 |
1階の道路側だけ 5 m² 狭い。玄関からトイレまで通る 1.1 m の通路をその階だけ取っているからである。
この家の格——建築法の等級で見当をつける
原文は「大きくて、くすんだ、レンガの家」としか言わない。そこで寸法は、ロンドン建築法の等級から当てた。仕組みは1774年の法に始まり、後の法に引き継がれていく。等級は地代と建坪で決まり、外壁と戸境壁の厚み、階数、階高が等級ごとに定められていた。
| 等級 | 1階の床面積 | この家 |
|---|---|---|
| 一等 | 900平方フィート超(83.6 m² 超) | 建坪 106.3 m²(主屋 82.5 + 張り出し 23.8) |
| 二等 | 500〜900(46〜83.6 m²) | — |
| 三等 | 325〜500 | — |
主屋だけなら 82.5 m² で、一等にわずかに届かない。張り出しを足して 106.3 m² になり、一等に入る。等級が建坪で決まる制度のもとで、張り出しは格を一つ上げる部分でもあった。
はじめは間口 6.6 m・奥行き 10 m の二等で描いていた。しかしこの家は広場に面し、隣に裕福な紳士が越してきて、二十人からの生徒を抱える学塾である。二等では学校として狭すぎたので、一等に改めた。ただしこれは当てはめであって、原文がそう言っているわけではない。
上へ行くほど天井が低い
ロンドンの連棟住宅は、階によって天井の高さが違う。しかも規則的に違う。客間として作られた階がいちばん高く、上へ行くほど低くなる。外から見ると窓の背の高さがそのまま階の格を表していて、2階の窓がいちばん背が高く、屋根裏はほとんど窓がない。
| 階 | この図での用途 | 階高 |
|---|---|---|
| 地下 | 食堂・台所・洗い場・物置 | 2.6 m |
| 1階 | 教室・客間・女史の居間・トイレ | 3.3 m |
| 2階 | 生徒の寝室・セーラの居間・セーラの寝室・トイレ | 3.7 m |
| 3階 | 生徒の寝室・女史の寝室・妹の寝室・トイレ | 3.0 m |
| 屋根裏 | 使用人部屋・低い物置 | 2.4 m |
ここで筋が通らなくなる。この家でいちばん背の高い階は 2 階だが、そこを生徒の寝室に使っている。教室は 1 階で、玄関と客間と同じ階である。当時の連棟でいちばん格の高い階を寝室にあてるのは、家の格の配りかたとしては逆である。これは未解決として末尾に挙げておく。
地下を食堂にしたのには理由がある。22人が食卓につける部屋は、道路側の 19 畳しかない。裏側は 10 畳で入らない。台所の隣に置けば配膳が近く、原文の「朝食に下りて行った」にも合う。使用人は屋根裏に寝る。
生徒は何人で、何歳から何歳までか
人数は最後まで書かれない。原文に数字が出てこない。そこで寝台を並べて数えた。生徒の寝室は 2 階と 3 階の道路側、各 35.9 m²。暖炉の胸壁と戸の振り回しを避けて置くと、一部屋に 11 台(手前 6 + 奥 5)。二階ぶんで 22 台になる。
教室は 30.9 m² なので、22 人なら一人あたり 1.40 m²。参考までに、当時の公立小学校に求められた一人あたりの床面積は8〜10平方フィート(0.74〜0.93 m²)程度だったとされる。私塾と公立小学校は別のもので、これは桁の見当をつけるための比較にすぎないが、22 人は詰め込んだ数ではない。
名前が出る生徒を数えても十数人で、学校というより大きめの家庭教師、という規模だと思ってよい。建物が許す上限よりも、集まった生徒の数のほうが少ない。
年齢の幅は、はっきり書いてある。いちばん上がラヴィニア・ハーバートで「もうすぐ十三、一人前のつもりでいる」。いちばん下がロティ・レイで「やっと四つになったばかりで、学校じゅうの赤ん坊役」。のちに「もうすぐ十五の子たち」という言い方も出てくるので、上は十五近くまで伸びる。セーラは入学時に七歳、物語の途中で十一歳になる。
| 年齢 | 文 | |
|---|---|---|
| ロティ・レイ(最年少) | 4 | ch02-s0002 |
| セーラ(入学時) | 7 | ch01-s0020 |
| セーラ(誕生日の章) | 11 | ch07-s0062 |
| ラヴィニア | 13 近く | ch02-s0002 |
| いちばん上の子たち | 15 近く | ch06-s0179 |
九歳から十一歳の開きがある子どもを、同じ部屋で教えている。
教室は一つしかない
原文に教室は53回出てくるが、一度も複数形にならない。いつも the schoolroom で、別の教室の存在を匂わせる書き方も一度も無い。
決め手は、全校が一度にそこへ入る場面がいくつもあることである。「学校じゅうが総立ちになった」。「女学塾のそっくり全部が、規則など無いものと悟って、教室のアーメンガードを取り巻いた」。全員が入る部屋が一つあって、それが教室である。
ではどうやって年齢の違う子を教えるのか。一つの部屋の中で組に分ける。原文は「下の子たちのフランス語の組」という言い方をする。クリスマスの支度の場面では、机を片づけて、腰掛けを部屋の壁ぎわにぐるりと並べ直している。机と長い腰掛けを並べ替えて使う部屋だったことが分かる。
そしてこの部屋は教室だけではない。寝る前には生徒が暖炉の前に集まるのが習いで、催しがあれば飾りつけて会場になる。教室であり、居間であり、広間でもある。一部屋で足りている。
階段が二つある
この家には出入口が二つ、階段も二系統ある。表は道から数段上がって玄関へ。裏は掘り下げたエリアへ降りて地下へ。エリアというのは建物の前面を道より下へ掘り下げた細長い空所で、地下室に光と空気を入れ、同時に使用人の出入口になる。道との境に立つ鉄柵は、人が落ちないためのものである。
ベッキーが最初に現れるのは、この柵越しである。そしてセーラが最後にこの家へ帰ってくるのも、エリアの階段を降りてである。家の中でどの階段を使うかが、そのままその人の身分だった。
バンガローでは、分けてあったのは経路ではなく運ばれるものだった。汚物は外の戸から出し、人は家の中を通った。ロンドンでは逆で、人のほうが分けられている。
トイレは張り出しに縦に重なる
各階のトイレは 1.7 m²、内のり 0.80 × 2.10 m。張り出しの端に入り、1 階から 3 階まで同じ位置に積み上がる。水まわりを縦に揃えるのは、汚水管を一本で済ませるためである。管は壁の外を降りて、床下で U 字の封水を通り、下水へ落ちる。
水は上から来る。屋根裏に水槽を置き、そこから各階へ落とす。当時のロンドンの水道は断続供給で、日に何時間かしか出なかったからである。出ているあいだに溜めて、使うときは落とす。
そして洗面は別の話になる。二十人を超える子どもが体を洗う場所は、この家に一つしかない。原文がそこを書いているので、アプリの第15章に別の解説を置いた。
屋根裏で、二人は出会う
この図を縦に読むと、物語の形がそのまま出てくる。セーラは 2 階の居間と寝室から始まり、屋根裏へ落ちる。ベッキーは地下の洗い場から始まり、寝るために屋根裏へ上がる。二人は反対の端から来て、いちばん上で隣り合う。原文が「近くに戸が二つ」と書いているのは、そのことである。
屋根裏は主屋の幅だけで、張り出しが届かない。部屋は三室、立てるところは 7.1・7.5・7.1 m²。床はもっと広いが、軒側は天井が下りてきて立てない。原文が「この端では、ほとんど立っていられない」と書いているのは、その部分である。
屋根裏の描写に白漆喰が出てくるのも、読み返すと効いている。セーラがインドで暮らしていた家は、外壁を年に一度白く塗っていた。日干しレンガが雨に溶けないための膜である。同じ石灰が、ロンドンでは屋根裏の内側に塗られていて、剥げ落ちている。材料は同じで、塗る側が裏返り、手入れが止まっている。
いつの話か。そして家は物語より古い
『小公女』は18世紀の話ではない。もとになった短い版『セーラ・クルー』の雑誌連載が1887年12月に始まり、長編の『小公女』が出たのが1905年である。作中も同時代で、第一章の冒頭からして黄色い霧でランプが灯り、辻馬車が走り、父親の財産は事務弁護士が預かっている。つまり1880年代のロンドンと見てよい。
ところが家のほうは、物語より古い。ロンドンの広場を囲む連棟の多くはジョージ王朝期、つまり18世紀後半から19世紀初めに建った。セーラが連れてこられた1880年代には、建って百年近く経ち、石炭の煤で黒ずんで、もう流行ではなくなっている。原文が big, dull, brick house と書き、広場のほうも big, dull square と書くのは、おそらくそういうことである。くすんでいるのは、古いからである。家は建ったときには新しい住宅地で、いまは落ち目の界隈になっている。そこで女学塾をやっている。
こういう学校は、標準だったのか
標準どころか、これがほとんど全部だった。1864年から68年にかけて、イギリスに中流の学校を調べる王立委員会が置かれた。タウントン卿が長を務めたので、タウントン委員会と呼ばれる。この委員会はほとんど付け足しのようにして女子校も調べたのだが、そこで分かったのは、当時イングランド全体で、女子の中等学校は13校しか無かったということである。
残りはすべて、ミンチン女史のような私塾だった。女性が一人か二人、自分の家で看板を出し、寄宿生と通いの生徒を取る。監督も検定も無い。「ヤング・レディーズのための選ばれた女学塾」という看板の文句そのものが、この業態の決まり文句である。
委員たちの所見を並べると、それがそのまま人物描写になる。
| 委員会の所見(1868) | 作中 |
|---|---|
| 女子教育は accomplishments(たしなみ)という呪文に支配されている | セーラはフランス語を話し、客に引き合わされる看板として使われる |
| 社交上の理由でとくに重んじられる科目、たとえばフランス語でさえ、教え方は貧弱で浅かった | 教科書の頁は le pere、la mere から始まる |
| 女教師自身がきちんと教わっていないので、教え方を知らない | ミス・ミンチンはフランス語が話せない。そしてそれを恥として隠している |
最後の一行が効く。フランス語を話せない女が、フランス語を看板にした学校をやっていて、本当に話せる子が来たら罰する。これは意地悪な人物の造形であると同時に、委員会が1868年に書いた所見を、そのまま一人の人間にしたものでもある。だから原文のあの場面は、個人の性格の話であると同時に、その時代の女子教育そのものの話でもある。セーラが黙って訂正できずにいる相手は、制度の見本である。
三軒は別棟ではない
ロンドンの連棟は、一続きに積んだレンガの塊を壁で仕切ったものである。隣り合う二軒は壁を共有していて、これを戸境壁という。両方の家の床の梁が、同じこの壁に載る。
1774年のロンドン建築法は、等級ごとに戸境壁の厚みを決めたうえで、隣り合う家のレンガを噛み合わせて積み、継ぎ目が通らないようにせよと定めていた。別々に積んだ二枚ではなく、一枚として積む。図で三軒がぴったり接しているのは、そのためである。隙間は無い。
この壁に窓が開けられないことが、階段の位置を決めている。上で書いたとおりである。窓が二面しか無いから、真ん中に部屋を置けない。
原文もこの壁をそういうものとして扱っている。セーラは隣家の書斎と教室が壁一枚で隣り合うことを知っていて、「壁が厚いといいのだけれど」と気にしている。授業のあとの騒ぎが隣に届くのではないかと思うからである。屋根裏では、ネズミが「壁の中」を走り回る。壁の向こう側にベッキーがいる。屋根も続いている。物語の後半では、男が二人、屋根の上を歩いて天窓から入ってくる。隣家との境は、建物の中にしか無い。
分かっていないこと
広場の名は出てこない
原文は最後まで「大きくて、くすんだ広場」としか書かない。ロンドンのどこなのかは決められない。図の向きも配置も、したがって任意である。
裏の張り出しは原文に無い
当時のロンドンの連棟には裏手に細い棟を足したものが多く、無いと三室目に窓が取れないので描いた。それでも原文は家の裏を一度も書かない。あった可能性のほうが高いが、これは型からの推定である。
教室がどの階かは、原文から決まらない
教室はインドの紳士の書斎と壁一枚で隣り合う、と書かれている。つまり戸境壁に面している。ただし何階かは書かれていない。図では 1 階に置いた。玄関と客間と同じ階である。
いちばん背の高い階が寝室になっている
当時の連棟でいちばん格の高い階は 2 階で、この図でも階高 3.7 m といちばん高い。そこを生徒の寝室に使っている。家の格の配りかたとしては逆で、ここは筋が通っていない。教室を 1 階に置いたことの裏返しで、どちらが正しいとも原文からは決まらない。
階高も当てはめである
階ごとに高さを変えてあるが、これは当時の連棟のよくある配りかたで、原文は階高を一言も書いていない。
生徒の数は寝台から数えた
原文は人数を書かない。寝台を並べて 22 台と出したが、これは建物が許す上限であって、作中の人数ではない。名前の出る生徒は十数人しかいない。
この文章は、青空の本を原語で読むための読書アプリ「原文庫」の、『小公女』につけた解説から転載したものです。寸法はすべて図を起こす計算そのものから取っていて、手で書き写していません。