\[\def\bm{\boldsymbol}\]

理工系出身者の誰もが使ったことがあるけれど、その意味がよくわからない人が多いであろうテンソルについて学んだ。テンソルと行列は何が違うのだろうか。

概要

  • 行列は 2次元配列だが、テンソルは多次元配列の一種。0階のスカラー、1階のベクトル、2階の行列として表現可能なテンソル、そして3階以上のテンソルが存在する。
  • 全ての2階テンソルは行列として表記可能だが、全ての行列がテンソルの要件を満たすわけではない。
  • 【一番大事】テンソルは事実を表すもので座標系に依存しない。視点が変わっても事実は同じ。テンソルの要素はテンソルの数値的な表現手段であり、座標系が変われば値も適切に変わる。

はじめに

重力加速度は、地球上であればどこでも大体、下向きに $9.8m/s^2$ である。これを座標系上の成分で表すならば、東を $x$軸プラスの方向、北を $y$軸プラスの方向、そして空方面を $z$軸プラスの方向とするなら、$(0, 0, -9.8)$ となる。単位は $m/s^2$。

いま「下向きに」と書き、読者も疑問を持つことなくそれを受け入れたと思うが、重力の向きを下とするかどうかは完全に任意である。樹にとまっているセミが樹の幹方向を下と考えても良いし、天井にぶらさがっているコウモリが天井方向を下と考えてもいい。コウモリ座標系で重力加速度を表すと $(0, 0, 9.8)$ になり、正負が逆転する。

このように、重力加速度という事実は不変ながらも、視点の取り方、すなわち座標系の設定の仕方によって重力加速度の成分は変わる。重力加速度は 3次元ベクトル、つまり 2階3次元のテンソルであり座標系の取り方によらず不変だが、ベクトルの成分は人間座標系とコウモリ座標系では異なる。異なるが同じ事実を指しており、座標変換に伴う成分変換にはルールがある。

教科書の定義

そもそも何故この稿を書こうと思ったのか。物理数学を勉強する上で出会った以下の定義が理解できなかったことに端を発する。

座標変換に対する変換性による2階のテンソルの定義

直行行列で表現される座標変換 $\bm{R}$ によってその要素が

\[A'_{ij} = \sum_{k=1}^{n} \sum_{l=1}^n R_{ik} A_{kl} R_{jl}\]

のように変換される行列は 2階のテンソルと呼ばれる。これはベクトルを別のベクトルへ移す行列 $\bm{A}$ が座標変換の際に満たす関係 $\bm{R}\bm{A}\bm{R}^{-1}$ ($= \bm{R}\bm{A} ^t\bm{R}$) に等価である。

上記における「ベクトルを別のベクトルに移す行列 $\bm{A}$ が座標変換の際に満たす関係 $\bm{R}\bm{A}\bm{R}^{-1}$」という記述は、$\bm{c} = \bm{A}\bm{b}$ の両辺に左から $\bm{R}$ を掛け、$\bm{A}$ と $\bm{b}$ の間に $\bm{I} = \bm{R}^{-1}\bm{R}$ を挟んで得られる次の関係式

\[\bm{R}\bm{c} = \bm{R}\bm{A}\bm{b} = (\bm{R}\bm{A}\bm{R}^{-1})\bm{R}\bm{b}\]

において、変換後のベクトルが $\bm{c}’ = \bm{R}\bm{c}$、$\bm{b}’ = \bm{R}\bm{b}$ であることから $\bm{R}\bm{A}\bm{R}^{-1}$ が変換後の $\bm{A}’$ と対応づけられることを指している。

何がわからなかったのか

「直行行列で表現される座標変換 $\bm{R}$ によってその要素が〜〜〜のように変換される行列」という記述から、$\bm{A}$に何らかの制約が加わっていると解釈したのだが、これが間違え。この誤解は、直行行列、単位行列、三角行列などの、行列単体でその要素が取りうる値に制約が加わっているのではないかという類推から生じた。

正しい解釈は何か

$\bm{A}$を表す成分は任意でいいのだが、座標変換時に座標に従って適切に行列の値が変わることそのものがテンソルだった。テンソルという、世界のある真実を表現するものがあって、それが座標の取り方によって見え方が適切に変わる、つまり要素の値が適切に変わるという性質そのものがテンソル。