『小公女』の訳を点検していて、同じ語を三箇所で取り違えていたのが見つかった。dinner である。夕食と訳していた。昼食が正しい。

ディナーは昼だった

dinner はもともと時刻の名ではない。その日のいちばん重い食事を指す語である。昔のイギリスではそれが昼だった。セーラのいる学塾でも昼で、夕方は supper——軽い夜食——と呼び分けられている。

これは訳のうえで効く。セーラは罰として昼食を抜かれ、そのまま使いに出され、帰り着いてようやく暗くなる。夕食と訳すと、まだ来ていない食事を取り上げられたことになり、空腹の時間が丸ごと消えてしまう。

この分かれ方はいまのイギリス英語にも残っている。school dinners は学校給食で、出るのは昼。dinner lady は給食のおばさん。Christmas dinner もたいてい昼である。イングランド北部やスコットランドでは、いまでも昼を dinner、夕方を tea と呼ぶ家が珍しくない。

なぜ夜へ移ったのか

明かりである。

夜に明かりを使えるようになって、社交が夜へ移った。主食もそれについていった。十八世紀から十九世紀にかけて、ディナーの時刻は上流から順にじりじりと後ろへずれていく。

そして面白いのは順序のほうで、lunch という語は、そのあとに空いた昼の穴を埋めるために出てきた。昼食があって夕食がある、のではない。主食が夜へ去った結果として、昼に名前が要るようになった。

ガスは明かりとして家に入った

ここが現代の日本の感覚と逆になる。日本の家に引かれているガス管は、まず台所のものである。けれどイギリスのガスは、まず明かりだった。

十九世紀はじめ   ロンドンの街路にガス灯がともる
十九世紀半ば     ガス会社が家庭へ配管を引きはじめる
十九世紀の終わり 都市の中流家庭に屋内のガス灯が行き渡る
そのあと         ガスこんろ・ガスストーブが広まる

ヴィクトリア朝の人にとってガスとは、まず火をつけて部屋を明るくするものだった。料理は二番目の用途である。

家のどこまで来ていたか

主要な部屋までである。玄関の広間、食堂、客間、教室。壁から腕木を出した灯具か、天井から吊るす灯具が付く。台所まで来ていることも多い。

寝室は家による。眠っているあいだに燃えた空気がこもるのを嫌ったし、部屋ごとに引く工事が高くついた。だからガス灯のある家で寝室はろうそく、という組み合わせは珍しくない。

そして屋根裏には、まず来ない。

ろうそくは安かった

ここを取り違えやすい。屋根裏のろうそくは、値段の話ではない。

この時代のろうそくは機械で大量に作られていて、もう贅沢品ではなかった。屋根裏のろうそくが意味するのは、その部屋が家の設備の外にあるということである。栓が来ていないから、手に持って運ぶ明かりを使うしかない。

それでも格はある。セーラが使うよう言いつけられていたのは台所の燭台だった。ある晩そこに点いていたのがそれではない別のものだったので、彼女は驚く。ろうそくの中にも上と下がある。

明るさも途中で変わっている

初期のガス灯は平たい炎で、黄色く、いまの感覚ではかなり暗い。一八八〇年代に、炎で網を白熱させる仕掛けが生まれて一気に明るく白くなった。セーラの時代は、その改良が行き渡ったあとである。

本が描いていないこと

断っておくと、『小公女』に屋内の明かりはほとんど出てこない。gas が出るのは、霧の中で街灯がともり商店の窓が輝いている冒頭の一箇所だけである。教室や食堂が夜どう照らされていたかは書かれていない。

上に書いたうち、家の中の配管の話は本文の外から補ったものである。本に書いてあるのは、セーラがろうそくを点けること、それが台所の燭台であること、そして昼食を取り上げられることだけだ。

おまけ——集金の仕組みが明かりを配った

貧しい家にガスが届いたのは、一八九〇年代の前払いメーターが大きかったと言われる。硬貨を入れると一定量だけ使える仕組みである。先に払う形にすることで、ガス会社は取りはぐれを恐れずに配管を伸ばせた。

明かりの行き渡り方が、技術よりも集金の仕組みで決まった、というのは考えさせられるところである。