ベトナム語と中国語と日本語:漢字文化圏の相似
中国を中心として、日本、朝鮮、ベトナムは漢字文化圏に属します。それぞれ独自の言語を基盤としながら、外交や貿易に漢文を使うことで文字、文化を取り入れたため、言語に占める漢字由来の単語が多いのが特徴です。
辞書を調べると、日本語も韓国語もベトナム語も、語彙の60%は漢語です。これらの国々では、つい100年ほど前まで、みな漢字を利用していました。しかし、識字率向上やナショナリズムによって漢字が廃止され、中国と台湾を除けば、漢字を使っている国は日本だけになりました。東南アジアの国々は、ベトナムを除くとインド文明の影響を強く受けています。
地名、人名
ベトナムは数十年前まで漢字を使っていたので、地名は漢字で書けます。人名も漢字で書けるものが多くあります。
首都のハノイ(Hà Nội)は「河内」。下の衛星写真でクネクネしているのが紅河(ホン川)で、その河の内側に灰色に広がっているのがハノイです。昔から雨季に河が氾濫する地域で、無数の湖があったのですが、フランス植民地時代に埋め立てられ、現在の姿になりました。
建国の父の名であり、南部最大の都市でもあるホーチミンはベトナム語で Hồ Chí Minh、漢字で胡志明です。2012年までの中国共産党総書記は胡錦濤でした。ベトナムの人口の90%近くを占めるキン族(京族、Người Kinh)は、現在の中国南部が起源と言われており、ベトナム北部で勢力を伸ばすとともに、中国の支配を1000年以上受け続けたため、漢字の利用や姓名の形式など、中国文明の影響を大きく受けています。
2020年現在の中国共産党総書記は習近平です。中国語では习近平(Xíjìnpíng)、ハングルでは 시진핑(sijinping)、ベトナム語では Tập Cận Bình と表記します。習がなぜ Tập になるのかはわかりませんが、ベトナム語で「練習」は luyện tập と書きます。
中国人の場合、名前はフルネーム(习近平)、姓(习)、名(近平)のいずれかで呼びますが、ベトナム人の場合、相手の地位に関係なく一番最後の一文字で呼びます。Hồ Chí Minh の場合は、Minh(ミン)さんですね。建国の父は偉大すぎるので、ミンさんではなく、例外的に Hồおじさん(Bác Hồ、伯胡)と呼ばれます。
ベトナム人の姓のバリエーションは少なく、上位3つの阮(Nguyễn、グエン、40%)、陳(Trần、チャン、10%)、黎(Lê、レ、10%)だけで6割をカバーします。中国人の姓は、多い順に王さん(7%)、李さん(7%)、張さん(7%)なので、ベトナム姓は中国姓以上に偏りが激しいといえます。ちなみにベトナム姓ナンバーワンの阮(グエン)さんは、中国では少数派で、発音は Ruǎn(ルアン)です。
私は日本人です
外国語学習の定番「私は日本人です」は、ベトナム語で「Tôi là người Nhật Bản(トイ・ラー・ゴイ・ニャッバーン)、中国語で「我是日本人(ウォー・シー・リーベンレン)」です。người(ゴイ)はベトナム固有の語で、日本語の訓読み、大和言葉にあたります。ハングルでは「日本人 = 일본인(ilbon-in)」です。
ニッポンと Nhật Bản(ニャッバーン)は、近い雰囲気を感じますね。Rìběn(リーベン)は、少し距離があるように見えますが、現代中国語(普通話)の Rì には、振動を感じます。ジーベンとも聞こえます。そう、ジパングの元になった発音ですね。ジパングがジャパンになりました。Japan は、実は中国語でした。ニッポン、ニャッバーン、ジーベン、ジャパン、イルボンは、どれも同じ語源です。
外来語由来の中国語
スーパー(super market)は、中国語で「超市(chāoshì)」です。英語を意味で漢字にしています。ベトナム語だと「siêu thị(超市)」、ハングルだと「슈퍼마켓(syupeomakes)」。
外来語(欧米語)
「スープ(soup)」は、ベトナム語で súp、ハングルで 스프(seupeu)と書きます。音を写したものですね。中国語だと汤(湯、Tāng)。
年表
- 日本
- 1549年:イエズス会のフランシスコ・ザビエルによるカトリック布教が始まる。同時にローマン・アルファベットが伝わる。
- 1587年:豊臣秀吉によってバテレン追放令が発布されるが、強硬な弾圧ではなかったため、この後もキリスト教は広がっていった。
- 1590年:活版印刷機が島原に導入される。
- 1591年:初の日本語ローマ字書籍『サントスの御作業の内抜書き』が活版印刷機を用いて刊行される。十二使徒の伝記。これ以降、布教のための出版が精力的に行われる。
- 1604年:朱印船貿易が始まる。
- 1614年:江戸幕府によってキリスト教布教が禁止される。翌年から、イエズス会の活動がベトナム中部に移る。
- 1633年:第1次鎖国令。東南アジアに5年以上永住している日本人の帰国が禁止された。
- 1635年:第3次鎖国令。すべての日本人の渡航と帰国が禁止され、朱印船貿易は終わりを迎えた。
- 1867年(明治元年の前の年):アメリカ人眼科医・宣教師 James Curtis Hepburn(ヘボン)が『和英語林集成』を横浜とロンドンで発行した。1886年(明治19年)に発行された第三版の表記が、ヘボン式ローマ字として普及する。
- ベトナム
- 1617年:ポルトガル人のイエズス会宣教師フランシスコ・ド・ピナがベトナム中部ホイアンに派遣される。この頃のホイアンには朱印船貿易を目的として日本人町があり、200-300人の日本人商人が居住していた。他に、オランダ東インド会社もホイアンに商館を構えており、一大貿易拠点であった。
- 1623年:ピナによりベトナム語のローマ字表記が考案される。
- 17世紀:ベトナム語のローマ字表記が考案される。
- 1887年:フランス植民地になる。これ以降、知識人と清(中国)の影響力を落とすためにローマ字表記ベトナム語を「Quốc Ngữ(クォック・グー、国語)として普及させる。
- 1919年:科挙廃止、漢字を使う場が減る。
- 1920年代:メディアでクォック・グーの利用が広がる。
- 韓国、北朝鮮
- 1446年:李氏朝鮮第4代の世宗王がハングルを頒布した。それまで朝鮮語を表記する文字は存在せず、知識人は漢字を使っていた。しかし、ハングルは400年の間、普及しなかった。
- 1860年代:清の冊封国として鎖国していたが、欧米から開国を迫られる。民族意識が高まり、ハングルが広く使われるようになる。
- 1939年:アメリカ人のマッキューンとライシャワーが M-R式ローマ字を開発する。
- 1948年:ハングル専用法「公文書はハングルで書く」。
- 1970年:漢字廃止宣言、選択科目以外での漢字教育を廃止した。
- 1980年代半ば:メディアが漢字の使用頻度を落とし始める。
- 中国
- 16世紀末:宣教師や外交官らによって、さまざまなローマ字表記が考案される。
- 1840年:清とイギリスの間でアヘン戦争がおこる。
- 1842年:清が敗戦する。南京条約で香港をイギリスへ割譲する。
- 1859年:イギリスの外交官 Thomas Francis Wade が『尋津録(Hsin Ching Lu)』を香港で出版する。この本に使われた中国語ローマ宇表記がウェード式として広まる。
- 1920-30年代:日清戦争の敗戦後、教育の普及のため漢字ローマ字化運動がおこる。
- 1950年代後半:周有光氏らによって中国語のローマ字表記、拼音(ピンイン)が作られる。
- 1980年代:ウェード式ローマ字が衰退し、拼音が普及する。