モダンアート
普段は美術館などには行かないのだけども、たまにふらっと足を運びたくなることがある。六本木ヒルズの上の方にある、眺望がすごくいい有料図書館、六本木ライブラリーの会員だったときに、森美術館の年間パスポートを購入して、何回か見に行った。そのついでに、同じく六本木にある国立新美術館などにも足をのばしたり。
森美術館は、モダンアート(現代美術)専門の美術館で、縦横高さ1mの立方体に固めたプーアール茶とか、羽毛で作った雪景色の中でファンを回して吹雪きを表現するとか、よくわからないものばかりを展示していることが多い。それがモダンアートというものらしいが、正直、これを見て僕はどうすればいいのだろうか、何を感じればいいのだろうか、何の役に立つのだろうかと、困惑した。
あるとき、森美術館の館長、南條さんのセミナーがあったので、参加してみた。たぶん、生まれて初めての美術セミナーだ。そこで彼が言っていたのが、モダンアートを難しく考える必要はない、今までにない新しい体験をしたと思ってもらえればそれで充分だ、ということだった。それ以来、ああ、単に楽しめばいいのねと、気楽に接することができるようになった。
そして昨日、その話をしたときに、ある人が教えてくれたこと。モダンアートは、誰でも楽しめる。歴史とか理論とか、そういう背景知識がなくても楽しめるのがモダンアート、だと。なるほど、確かにその通りだ。伝統的美術が持つ過去の積み重ねの上にないからこそ、誰もが同じラインに立てる。
でも実は、どんなものでも気兼ねなく楽しめばいいのかもしれない。僕はコーヒーを淹れるのが好きで、それなりにこだわりがあるのだけれども、人に出したときは、単に「おいしい」の一言がもらえれば嬉しい。
ワイン会なる場にいくと、ワインを言葉で表現する人たちが多くて、それができない僕は気後れするのだけれども、でも飲んで、香りをかいで、楽しむことはできる。おいしいね、という一言があれば、ワインを作った生産者は笑顔になってくれると思う。
ウェブのサービスだって、裏側の苦労はさておいて、ユーザに楽しく、便利に使ってもらえれば僕はそれで充分だ。
人が何かをするのって、他の人と、何らかの点でつながりたいから、なんだろうな。芸術でも、料理でも、プログラミングでも、スポーツでも。誰も見ていなくてもやりたいことって、マズローの欲求階層の下の二つ、生理的欲求と安全欲求くらいかな。